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【天文学的な意味】

ストーンヘンジを作ったのはだれか? その目
ストーンヘンジでは夏至の日に北東の地平線から太ストーンヘンジでは夏至の日に北東の地平線から太陽が昇りますが、一方で、冬至の日には正反対の南西方向に太陽が沈みます。
つまり、冬至の日没に向かって配置されているとも言え、夏の日の出と冬の日の入りを見通すことのできるストーンヘンジは、天空の事象を観察するための天文学的特徴を持った施設でもあるのです。

イギリスの天文学者ジェラルド・S・ホーキンスは1963年にネイチャー誌で論文を発表、続いて1965年に著作『ストーンヘンジの謎は解かれた(Stonehenge Decoded)』を刊行して議論を巻き起こしました。

まず、ホーキンスはストーンヘンジの「主要な方向軸が天体の重要な位置を指しているかどうか」を検証します。
図面化したストーンヘンジの地理学的データ(石、石穴、その他の穴、塚の地点の緯度、経度、軸の方位およびスケールなど)を電算機(コンピュータ)に入力し、計算したのです。
そして、ストーンヘンジの主要な地点は太陽と月の極限の位置と、その他多くの方向軸を作っていると結論付けています。

また、ホーキンスは「巨石構造が日食月食を予測」していたという説も唱えています。
月食が起きるには月が太陽の反対側に位置していなければならないという事実は太古から知られていました。

オーブリーホールを始めとする数多くの穴、円、ストーンヘンジ全体が天球上における太陽と月の軌道を示す巨大な測定器として使われていたのです。
オーブリーホールの円周上、夏至の日の出の軸線と直角に交わる長方形を作る位置に建てられた4本の立石はステーションストーン(測量石)と名付けられ、その名前が示すように観測のための石と考えられています。

先史時代の人々にとって、日月食は単なる自然現象の範疇を超えた深刻な重大事でした。
天照大神が姿を隠して世の中が闇に閉ざされてしまうという有名な古事記または日本書紀の説話からも分かるように、太陽(月)は神(女神)そのものであり、人々は日月食に大変な恐怖と不安を感じたに違いありません。

その真偽のほどは定かではありませんが、古代中国では宮廷に仕えた天文学者が日食を見逃したというだけで処刑されてしまったという話も伝わっています。

当時の神官たちは天体の観察から農作期を知るための暦を作り、古代の人々が最も恐れた日月食の予測を行うことによって、自分たちの権勢を確かなものとしていたのだと、ホーキンスは主張しました。

後になってストーンヘンジの権威とされるリチャード・アトキンソンら考古学的立場の専門家たちから、ホーキンスの理論は極端で非現実的であると批判されました。
しかし、ホーキンスに限らず天文学的な解釈は、超自然的な目的、あるいは伝説に近いドルイドの神殿と考えるよりも、現代社会においてははるかに現実的な解釈なのかもしれません。

確かなことは、ストーンヘンジに関する新たな発見が今も続いているという事実です。



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