。。☆プレセリブルーストーン販売元/世界遺産ストーンヘンジーの石/プレセリ・卸

Preseli - Home

最新調査で明らかになった新事実









【ストーンヘンジ一帯が連動的に機能】

 ストーンヘンジの周辺には多くの墳墓があり、住居跡も見つかっています。
1950年代に見つかった3人の火葬された遺骨に対して放射性炭素年代測定を行ったところ、それらの遺骨は500年間の長い年代に渡っていることが判明し、祖先崇拝を行う古代ブリトン人にとってストーンヘンジは死者を祭る場所であり、埋葬地の役割を持っていたという結論が導き出されました。

最も古い遺骨は火葬された骨と歯で、56個の竪穴(オーブリーホール)の一つから発掘されています。
ストーンヘンジを囲む壕から見つかった2番目に古い遺骨は紀元前2930〜2870年頃に埋葬された成人の骨、壕の北側から出土した3番目の遺骨(紀元前2570〜2340年頃)は、20代の女性のものだと特定されました。

ストーンヘンジ・リヴァーサイド・プロジェクトのリーダーであるピアソン教授(シェフィールド大学)は、こんな仮説を立てています。
ウッドヘンジ(ダーリントンウォールズ)にもストーンヘンジのアベニューと似た道があり、死者が出ると、そこからつながるエイヴォン川に遺体が流され、下流で引き上げられてアベニューからストーンヘンジに運ばれて火葬されていたというのです。
生の領域であるウッドヘンジと、死の領域であるストーンヘンジは、エイヴォン川で結ばれていたという発想です。

ストーンヘンジを形作る石は肉体が死を迎えた後に残る白い骨の硬さ、死者をしのぶ永遠の想いを、ウッドヘンジの木は時が来れば朽ちていくはかない生を象徴し、同時に石は祖先と男性、木は女性と赤ん坊を示していると言います。
ちょうど、日本神話(古事記または日本書紀)に登場する女神、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)と石長比売(いわながひめ)を思い起こさせる話です。
高天原から降臨した神であるニニギの御子に嫁いだ地上の女神、木花咲耶姫と石長比売の姉妹でしたが、容姿の醜い石長比売は送り返されてしまいます。

しかし、二人の娘を嫁がせた父の大山津見神(オオヤマツミ)には意図がありました。
石長比売は夫ニニギに岩のような永遠の命をもたらし、木花咲耶姫は木の花が咲くように繁栄をもたらすという理由があったのです。
結果的にニニギは神でありながら限りある命を持つ存在となり、その子孫とされる天皇も寿命を持つ人間に・・・と、神話では伝えられています。

ここで注目すべきは、生と死がともにあるように、ストーンヘンジとウッドヘンジ、あるいはその他周辺の遺跡が、一体的に機能していたと考えられる点です。
生と死の世界を結ぶ行列に想いをはせれば、エイヴォン川からストーンヘンジにつながるアベニューは賽の河原とイメージが重なります。
アベニューの道に高低差があることを理由に、冬至の日の入りに合わせてサルセンサークルに向かって歩けば、日没を2度見ることができると言います。

それが事実だとして、日没を2度見ることが情緒を感じる以外に意味があることなのかどうかは分かりませんが、死者を送る行列、日本の野辺送りを思わせる、そうした光景が自然に浮かんできます。

ピアソン教授の埋葬地説は現代人にとって受け入れやすく説得力のある解釈と言えますが、ストーンヘンジが他にも複合的な役割を担っていた可能性は十分にあります。

治療を求める巡礼者の集う場所であり、心ならずもその願いが叶わなかった時には終焉の地となり、残された者たちが祈りを捧げる神殿ともなる、まさに聖地だったのかもしれません。



ストーンヘンジ,世界遺産,プレセリ,プレセリブルーストーン,パワーストーン,ブレセリ,ストンヘンジ,
☆画像、文章の無断借用は、おやめくださいね。
Copyright (C) DARI-HIGE WEB 1999~