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【ヘンジの始まり】

紀元前3000年頃、ソールズベリー平原で最初に作られたのが直径115メートルにも及ぶヘンジ(円形の土塁)でした。

壕が掘られ、その内側に高い土手が築かれます。そして、土手の内側にはオーブリーホールと呼ばれる56個の穴が造られました。



【木造建築物の時代】

紀元前3000年頃、ソールズベリー平原で最初に作られたのが直径115メートルにも及ぶヘンジ(円形の土塁)でした。

壕が掘られ、その内側に高い土手が築かれます。そして、土手の内側にはオーブリーホールと呼ばれる56個の穴が造られました。新石器時代中期から後期、木造のモニュメント(木柱群)がヘンジの北東の入り口付近と、中央から南の入り口よりに現れました。



【最初のストーンサークル】

木柱群は数百年で廃れたとされ、紀元前2500年頃になってブルーストーンによる二重の円環が最初のストーンサークルを構成しました。

アヴェニュー(2本の並行する土手に挟まれた道)が現れ、土手の内側にステーションストーン、中央部にアルターストーン(祭壇石)、そして北東入り口の外にヒールストーンが建てられます。



【サルセンサークルの登場】

中央部は一変し、現在の形になります。高さ5メートルのサルセンストーン30個を配し、その上にまぐさ石(リンテル)を水平に置いて造られた円は、サルセンサークルと名付けられました。

内側にはトリリトン(三石塔)と呼ばれる5基の組石が馬蹄形(U字形)に並びます。さらに、エイヴォン川に続くアヴェニューは約3キロメートルになりました。



【ブルーストーンの再配置と建設期の終わり】

青銅器時代の後期に入り、放棄されていたブルーストーンがサルセンサークルの内側に馬蹄形または円形に並べ直されます。

サルセンサークルの外側を囲むように二重の円を造る穴が掘られましたが、そこに石が建てられることはなく、紀元前1500年頃にストーンヘンジは放棄されたと見られています。



56個のオーブリーホール

オーブリーホールは、17世紀の古物研究家である発見者のジョン・オーブリーの名前に由来しています。

この56個の穴群はストーンヘンジの謎の一つです。それらの穴には木の柱が立てられていたという説があり、痕跡が残っていなかったことから議論になっていましたが、‘03年に始まった発掘調査(ストーンヘンジ・リヴァーサイド・プロジェクト)において、ブルーストーンのサークルを造る穴だったことが分かっています。

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